キネマ旬報ベストテン2021年
「宮古島SOS」
二つのJ
「われらにうるわしき名あり。二者ともに J をもって始まる。イエス(Jesus)なり、日本(Japan)なり。われはこれを称して“二つのJ(two Js)”という。われの宗教はこの二者を離れては存在せず。イエスのためなり、日本のためなり。イエスの栄光をあらわさんため、日本の名誉を傷つけざらんためなり。(中略)イエスのため、日本のため。イエスのため不義におちいるなかれ。(中略)二つの J を忘るなかれ。」 (内村鑑三注解全集第10巻65項)
これは内村鑑三の唱えた有名な“二つの J ”です。彼にとってはこの二つは分離してはありえない存在でした。それゆえ日本の名誉を傷つけること、不義に陥ることは、日本のためだけでなく、イエスのためになすべからざることでありました。彼は心からイエスを、日本を愛したのです。
今「愛国心」が問題となっています。一人の国民として、自分の母国を愛する心を持つことは当然のことです。しかし「愛国心」のゆえに、他国を侵略したり、不利益を与えることがあってはなりません。過去に犯した過ちを検証し、国家が同じ事を繰り返すことがないように、国の為政者のために祈るだけでなく、見張り、意見し、必要があれば立ち上がることこそが、真の「愛国心」であります。母国が名誉を傷つけないため、不義に陥らないために。
不条理と信仰
わが師 野村克也
母親が野村監督と同郷(野村-網野町、母-峰山町)ということもあり、子どもの頃から野村監督のことを聞かされて育った私にとって、野村克也は特別な存在だった。物心つく頃から、いや、母の影響から物心つく前から、野村のファンだったかも。自宅が西京極球場に近かったので、生で観るプロ野球の試合はパリーグであったことから、気づいたら純パ党になっていた。当時の西京極は阪急ブレーブスの準ホームグラウンドで(本拠地は西宮球場)、年間に10試合以上は阪急戦が行われていた。
野村に関して書き出すと止まらなくなるから、別な機会に譲るが、彼が楽天の監督としてパに戻って来てくれたことはとてもうれしい。2005年の秋に楽天を率いるようになってからは、正直、楽天のファンではないが、楽天が無視できず、特にロッテ戦はとても悩ましい。純パ党の贔屓発言ではあるが、野村にはやはりパのユニフォームが似合う。
2007年あたりから、テレビのスポーツニュースにおいても、試合の模様だけでなく、ほぼ毎回野村監督の試合後のコメントが流れるのが楽しみである。ここまで本当に紆余曲折があったが、野球人野村に注目が集まるのは当然のことだと感じるし、ファンとしては誇りにさえ思う。
監督通算1500勝達成は輝かしい記録だ。1500勝達成は史上5人目であるが、その中で勝率5割を割っているのは彼だけ。つまり、1500勝以上している監督は他に4人(鶴岡一人、三原脩、藤本定義、水原茂)いるが、1500敗を“達成”しているのは野村監督だけということ。その数字からも、常勝球団ではなく、いかに弱小球団(南海、ヤクルト、阪神、楽天)を率いてきたかが分かろうというもの。そんなチームを率いてのリーグ優勝5度、日本一3度は彼の監督としての手腕がいかに卓越しているかの証明であろう。
更に、野村の真骨頂は、監督として3000試合を達成(三原、水原、野村)しているだけでなく、選手としても3017試合出場していること。この3017試合も前人未踏の大記録。ちなみに2位は王貞治の2831試合。一口に3000試合というが、これは年間試合を現在の144試合で計算しても20年以上かかるもの。選手として実働26年、監督として24年の成果。聞くところによると、選手・監督それぞれでの3000試合達成は、大リーグでもいないらしい。三十代からプレイングマネージャーをやっていたから達成出来た記録なわけで、今後ともこの記録を破る野球人は出ないだろう。
ここまでいろいろとあったし、今までは“月見草”だっただろうけど、今は最も注目を集めるプロ野球監督野村克也。続けることがいかに大変であるか・・・ 牧師もですよね。
バイカル湖
モンゴル国境に近い中央シベリアのタイガに広がるバイカル湖は、いろんな意味で興味深い湖です。面積は世界7番 目ですが、最大水深が1741mと世界で最も深いことから、その貯水量は23,000立法㍍で、世界中の淡水の約20%を有す ると言われています。
また約3,000万年前に海から孤立し、その後長い期間をかけて徐々に淡水化していった世界最古の湖の一つでもあり、生態系の面においてもガラパゴス諸島と並ぶ“生物進化の博物館”“生態学の 宝庫”とも称されています。そのた めもあってか、聖なる場所と捉えられ、古代から礼拝地と されてきました。
バイカル湖が人々を魅了する最大の特徴は、40㍍を超え る世界最高の透明度でしょう。ここは、流 れ込む河川は33 6本ありますが、ここから流れ出る川はアンガラ川一本で す。流入と流出の差が大きいバイカル湖ですが、水晶のような純度を保つことの出来る最大の要因は、小さな生物の存 在にあるというのです。
その一つが、カイアシ類の小エビのバイカルエピシュー ラです。肉眼では確認できない程の体長約 1㍉のこのエピシューラは、極小の藻類を食して、バクテリアをろ過する特性を持っています。そのも のバイカル湖の純度を保つ自 然のフィルターの働きをしているのです。そのようなごく 小さな生命体であるエピシューラが、膨大な貯水量の湖の透明度を維持させているのは、とても示唆的に思えます。
私たちの心の中にも、様々なものが流れ込んできます。偽りや悪に流されてしまうこともあります。そしてそれを浄 化させる力を、私たちは持ち合わせていません。それをして下さるのは、ただイエスさまだけです。
イエスさまの「からし種一粒の信仰があれば」(マタイ17:20等)との言葉が思い起こされます。 体長1㍉のエピ シューラがバイカル湖の純度を保つように、イエスさまへのからし種一粒の信仰が、私たちを日々新たにしてくれるのではないでしょうか。
あしたのジョーとちばてつや
作画は言わずと知れたちばてつやで、原作は高森朝雄となっているが、これは梶原一騎のこと。
ちば作品には、教会がよく登場する。
『ジョー』でも、親友のマンモス西と紀ちゃんの結婚式は教会だった。
また、代表作の一つの『ユキの太陽』では、孤児のユキが道に迷って雪の中をさ迷っていると、一匹の羊が現われ、その羊の背中に乗ると教会にたどり着いたという、何とも“聖書的”な話もあった。
どうもちばの母親がクリスチャンで、彼自身も教会に熱心に通っていた時期があったらしい。
更に、『あしたのジョー』には、こんな話も。
丈のライバルの一人に、カルロス・リベラというベネズエラ人(メキシコだっけかな?ホセ・メンドーサがメキシコ人だったから、ベネズエラでよかったと思う)がいる。このカルロスが丈と対戦する前に、お忍びで泪橋の丹下ジムに来る件で、ドヤ街の住民たちと近くの公園で大宴会をする場面のこと。カルロスはベネズエラの貧民街の出身で、ドヤ街が懐かしく、そこの子どもたちやおっさんたちと打ち解けて宴会に・・・という設定。
その時のカルロスが次のような歌詞の歌をギターの弾き語りで歌っているのだ。(漫画だから勿論、メロディーは分からないというか、無い!テレビではこの場面は覚えてないからなかったと思うけど、もし覚えている方がおられたら、ヒラリンまでご一報下さいませ)。
♪ ひたいを落つる 玉の汗
化して垂穂の 実となりぬ
わがさちや くにたみの
いのちの糧を つくるわざ
つるぎを変えて 鎌となす
平和の御代も ちかづきぬ
げにたのし わがかみの
みむねにかなう なりわいは
今日のつとめも はや終えて
畦にやすらい もろともに
とがまおき 鍬立てて
夕日におもう みめぐみを ♪
ストーリーの中には、この歌についての説明は全くない。ドヤ街の連中との宴会で、カルロスがストーリーとの関連もなく突然、日本語で歌い出すのだから、不自然と言えば不自然。
私は読んだ時には、全くこの歌のことは気にもとめていなかったが、今、見てみると、2節の“つるぎを変えて鎌となす”などは、牧師であれば気づかないといけなかったかも(最初読んだ時は神学生でした(^_^;))。他にも“垂穂”や“平和の御代”、さらによく見ると“わがかみのみむねにかなう”といった言葉まである。
勘のよい妻はピンときたらしく(彼女もそれまではこの歌は知らなかったそう)、讃美歌を調べて見つけた。
教団讃美歌(1954年版)の372番
彼女のその勘と探究心には脱帽だ。
チャンスがあれば、ちばてつやさんに、この件と讃美歌のことを聞いてみたいものと、ひそかに思っているのだが・・・
そうだ、書いていて、だんだん思い出してきたぞ。
『ユキの太陽』のこともあるので、周囲の者に聞いて周ったのだ!その中で『信徒の友』にちばてつや氏の記事か何かが出ていたと聞きつけたので、『信徒の友』の編集部に問い合わせたんだった。