発達障がい牧師ヒラリンの日記

世の中真っすぐな道は無いように、欠けや欠点の無い人もいない。発達障がいだから人生は面白い!

不条理と信仰

私たちキリスト者は死がすべての終わりではないことを信じています。どのようなかたちであるかは分かりませんが、いつの日か故人と再会できることも信じています。しかし、親しい者の死は、この地上での別れでもあるのですから、周囲の者にとっては悲しみの出来事です。覚悟のない突然死はとくにきついですが、覚悟していても、最期の瞬間が来ることは受け入れがたい思いになるものです。
 先日ある対談の中で「人生とは不条理に満ちたもの」という言葉が出ましたが、まさにそうであり、その不条理の最たるものの一つが「死」なのではないでしょうか。愛する者の死は受け入れ難いもの。でも、死は必ずやって来る、しかも突然に…
旧約聖書ヨブ記のヨブは、神の前に正しい人でしたが、突然の災難に苦しみ、その苦しみの中での友人たちと対話します。何か間違ったことがあるのではないかと問い質す友人に対して、ヨブは自らの正しさに固着します。平行線の中、神様の登場で物語を終わります。
 世の中は不条理に満ちています。死も納得がいきません。愛の神であるならば、死ぬことなく癒して下さればよいのにと思います。神さまには神さまのお考えに従って、私たちを導かれます。被造物にすぎない私たちにはそれは不条理と思えることが多い。神さまを信じ、そのみ手に委ねて歩むということは、不条理であることも込みで信じることなのでしょう。何でこんなことが起こったのかその意味が完全には分からなくとも、そこにも神さまのみ心とお考えがあることを信じていくことが信仰なのです。