発達障がい牧師ヒラリンの日記

世の中真っすぐな道は無いように、欠けや欠点の無い人もいない。発達障がいだから人生は面白い!

わが師 野村克也

母親が野村監督と同郷(野村-網野町、母-峰山町)ということもあり、子どもの頃から野村監督のことを聞かされて育った私にとって、野村克也は特別な存在だった。物心つく頃から、いや、母の影響から物心つく前から、野村のファンだったかも。自宅が西京極球場に近かったので、生で観るプロ野球の試合はパリーグであったことから、気づいたら純パ党になっていた。当時の西京極は阪急ブレーブスの準ホームグラウンドで(本拠地は西宮球場)、年間に10試合以上は阪急戦が行われていた。

 

野村に関して書き出すと止まらなくなるから、別な機会に譲るが、彼が楽天の監督としてパに戻って来てくれたことはとてもうれしい。2005年の秋に楽天を率いるようになってからは、正直、楽天のファンではないが、楽天が無視できず、特にロッテ戦はとても悩ましい。純パ党の贔屓発言ではあるが、野村にはやはりパのユニフォームが似合う。

 

2007年あたりから、テレビのスポーツニュースにおいても、試合の模様だけでなく、ほぼ毎回野村監督の試合後のコメントが流れるのが楽しみである。ここまで本当に紆余曲折があったが、野球人野村に注目が集まるのは当然のことだと感じるし、ファンとしては誇りにさえ思う。

 

監督通算1500勝達成は輝かしい記録だ。1500勝達成は史上5人目であるが、その中で勝率5割を割っているのは彼だけ。つまり、1500勝以上している監督は他に4人(鶴岡一人三原脩藤本定義水原茂)いるが、1500敗を“達成”しているのは野村監督だけということ。その数字からも、常勝球団ではなく、いかに弱小球団(南海、ヤクルト、阪神楽天)を率いてきたかが分かろうというもの。そんなチームを率いてのリーグ優勝5度、日本一3度は彼の監督としての手腕がいかに卓越しているかの証明であろう。

 

更に、野村の真骨頂は、監督として3000試合を達成(三原、水原、野村)しているだけでなく、選手としても3017試合出場していること。この3017試合も前人未踏の大記録。ちなみに2位は王貞治の2831試合。一口に3000試合というが、これは年間試合を現在の144試合で計算しても20年以上かかるもの。選手として実働26年、監督として24年の成果。聞くところによると、選手・監督それぞれでの3000試合達成は、大リーグでもいないらしい。三十代からプレイングマネージャーをやっていたから達成出来た記録なわけで、今後ともこの記録を破る野球人は出ないだろう。

 

ここまでいろいろとあったし、今までは“月見草”だっただろうけど、今は最も注目を集めるプロ野球監督野村克也。続けることがいかに大変であるか・・・ 牧師もですよね。