発達障がい牧師ヒラリンの日記

世の中真っすぐな道は無いように、欠けや欠点の無い人もいない。発達障がいだから人生は面白い!

正しさは曲者

最近は減って来たが、「私たちの教会は、○○○と○○○と○○○とは一切関係がありません」と週報に記載される教会がある。確かにそれらの群れは、カルト的傾向が見受けられ、教理的にも違う点があるし、そのことで誤解を受けたり、伝道活動に置いて支障が出た経験がお有りになるのであろう。僕自身も、それに近い発言をしたことがあるので、気持ちの上では理解出来る思いではある。
しかし、どうなのであろうか!その意識の中には「自分たちは正統」という意識が強く働いているのではないだろうか。この「自分(たち)は正統」というのは、いろんな点からも曲者だと思うし、そこには愛の意識はなく、排除の論理が働いているように思える。そして、上記の3グループだけでなく、いわゆるカルト集団のことで困窮し苦しんでおられる方が多数いらっしゃることを思うと、「お困りの方はご連絡下さい」とするのも一つかな、とも思う。
正統・異端の観点から述べるなら、アフリカではエホバの証人プロテスタントの1教派として認知されているようだし、ヨーロッパの一部の地域においては、バプテスト派はこれまでの歴史的経緯からいまだに異端視する向きもある。また、カトリックのマリア像のことを取り上げて、個人的見解としてではなく教派レベルで異端視する教派もある。
確かに、“教理”は必要だと思うし、何でもかでもOKとするわけには行かないとは思う。しかし、「正統」や「正しさ」を他者に向けることはとても配慮が必要だと思う。自分と異なる考えや意見に対して「正統」「正しさ」で相対することはとても気をつけないといけないし、自分自身の考えや意見がどうであるかにこそ心を向けないといけないと思う今日この頃である(笑い!